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河井瓢

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

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河井 瓢(かわい ひさご、1855年11月26日(安政2年10月17日[1]) - 1906年明治39年)12月9日[2][3])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将位階勲等功級正五位勲三等功四級[2]

経歴

のちの大阪府出身[1][3][4][注 1]陸軍幼年学校を経て[1]1877年(明治10年)12月、陸軍士官学校旧1期卒業[5]大阪鎮台在勤、第2軍用電信隊小隊長、参謀本部海防局員、砲兵第3連隊副官心得[2]下関要塞砲兵連隊長を経て[1]1897年(明治30年)10月、東京湾要塞砲兵連隊長となり、1899年(明治32年)10月、呉要塞砲兵連隊長に補される[4]。同年12月、陸軍砲兵大佐に進み、広島湾要塞砲兵連隊長を経て、1904年(明治37年)3月、広島湾要塞司令官事務取扱となり、同年7月、野戦首砲廠長に任官する[4]1906年(明治39年)7月、陸軍少将に進級と同時に予備役に編入し[3][4]、同年末に病没した[2]

脚注

参考文献

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