トップQs
タイムライン
チャット
視点
洞窟観音山徳公園
ウィキペディアから
Remove ads
洞窟観音山徳公園(どうくつかんのん やまとくこうえん)は、群馬県高崎市の一般財団法人。1963年設立。旧称は財団法人洞窟観音山徳公園維持会。

高崎中心街から烏川を渡った南西にある観音山丘陵の金沢山(住所としては石原町)で、洞窟観音、徳明園、山徳記念館を運営する[1][2]。
洞窟観音
高崎市の呉服商だった山田徳蔵(1885年 - 1964年)が、1919年から1964年までの間、手作業により洞窟を掘削した。約400mの洞窟内に彼岸の楽土をイメージして、浅間山の噴石を含む銘石等が配置され、39体の観音像が安置されている。
鍾乳洞と勘違いする観光客もいるが人工の地下道で、山田は総延長800mまで掘り広げる考えだったと伝えられる。太平洋戦争中、山田は防空壕としての使用も想定して準備したほか、陸軍が物資貯蔵庫として借り上げた[3]。
同じ敷地内に、徳明園、山徳記念館がある。隣接地に観音山公園がある。
- 入口
- 出口
徳明園
- 回遊式日本庭園
山徳記念館
出典
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads