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浄妙寺 (宇治市)
京都府宇治市木幡にあった寺院 ウィキペディアから
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浄妙寺(じょうみょうじ)は、現在の京都府宇治市木幡にあった寺院。木幡寺とも呼ばれた[1]。1007年(寛弘4年)に藤原道長によって建立され[2]、藤原北家の重要人物を弔う菩提寺だったが、1462年(寛正3年)の土一揆で焦土となり廃絶したとみられる[3]。
開基
藤原道長は、1005年(寛弘2年)に木幡三昧堂を、その後も多くの建物を建て、1007年に浄妙寺を完成させた[2]。1005年10月の供養会には、道長や中関白家の藤原伊周、藤原隆家など多くの人が参加した[4]。
経過
発掘
1966年(昭和41年)に宇治市立木幡小学校建設が予定されることになり、1967年(昭和42年)1月26日から2週間の予定で学校予定地の試掘調査が行われた。終了予定の2日前に礎石1点が発掘されたことをきっかけに、三昧堂跡が発見された。その結果、小学校校舎は寺跡の南端よりさらに南に建設し、寺跡は校庭とし、遺跡全体は校庭地下に保存することとなった。 この後、浄妙寺は2度の再発掘が行われ、1回目は1990年(平成2年)、2回目は2003年(平成15年)度から4か年計画で、いずれも夏休み期間中のみに実施された[5]。
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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