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浪花落語反対派
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概要・歴史
1910年、桂派一派の総帥だった3代目桂文枝が他界したことで、桂派は衰退。この機会を捉え、上本町にあった富貴席主の岡田政太郎は、寄席の入場料を値下げし、誰でも気楽に楽しめる色物(軽口、物まね、剣舞、曲芸、義太夫、女講談等)を中心にした「反対派」(岡田興業部)を旗揚げし、従来の桂派、三友派などと競い合った。
しかし、1920年、岡田政太郎が死去すると共に衰退に向かい、1921年、実子で2代目富貴席主の岡田政雄のもと、同じく非主流派で天満の第二文藝館を本拠とした花月派(吉本興行部)と業務提携(事実上、吸収合併)し、消滅した。
その他諸派
江戸
上方
- 寿々女会
- 4代目笑福亭松鶴の設立。
- 浪花派
- 大八会
- 大正時代宮崎八十八が中心に結成。万歳師や漫談家が所属。ミスワカナ・玉松一郎や花月亭九里丸(九里丸は後に反対派に所属)
- 大正派
関連項目
脚注
出典
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