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海軍元帥 (イギリス)

イギリス海軍の最高位 ウィキペディアから

海軍元帥 (イギリス)
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イギリス海軍元帥(かいぐんげんすい、Admiral of the Fleet)は、イギリス海軍における5つ星階級英語版士官で最高位の階級である(1688年設立[2])。NATO階級はOF-10英語版であり、陸軍元帥イギリス陸軍)や空軍元帥イギリス空軍)と同等である。名誉任命を除いて、1995年以降に海軍元帥に任命された人物はいない。

概要 海軍元帥, 国 ...
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歴史

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戦艦デューク・オブ・ヨークを訪れた国王ジョージ6世ブルース・フレーザー提督(のち元帥)らが迎える。
スカパ・フロー泊地、1943年8月)

海軍元帥の起源は、1360年7月18日に『国王の南部・北部・西部海軍指揮官英語版』に任命されたジョン・ド・ビーチャム英語版にまで遡る[3]。この任命により、初めて一個人にイングランド海軍の指揮権が与えられ、後世で海軍元帥にまで発展した[4]。帆船の時代では、海軍における提督の区別には、艦隊が赤、白、青の3部隊に分かれていたことによる区別も含まれていた。それぞれの部隊には少なくとも一人の提督が割り当てられ、順番で中将や少将を指揮した。名目上ではすべての提督が対等とされたが、伝統により、実質的な役割に加えて艦隊の階級も保持していた白の提督が上位とされた[2]

18・19世紀

イングランド王政復古により海軍内の階級や構造の全般的な再構築がなされたが、その中には海軍元帥職が定着した点も含まれていた。この際に(従来は名誉職であるという)慣例を破って、元帥職が最先任の赤色艦隊提督に与えられた。このため赤色艦隊提督は海軍元帥でありながら実務的な職務も併せ持っていた。任命は終身で、一日当たりの手当5ポンド、使用人を雇い・養うための年間手当1,014ポンドが支給された。元帥職は常にただ一人の将官のみが保持することとされるとともに、乗艦のメインマストから王室旗を掲げて元帥の坐乗を示した[5]

1805年、海軍元帥職と赤色艦隊提督職は分けられ、官報『ロンドン・ガゼット』の布告では「国王陛下は陛下の海軍において赤色艦隊提督の階級を復活させる勅命を下せり」とされた[6]。なお同官報では、22人の将官が赤色艦隊提督に昇格している[7]。19世紀以降、海軍元帥は一人しか務まらないという従来の制約にもたびたび変更があった。1821年、国王ジョージ4世は陸軍の初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー陸軍元帥とのバランスをとるため、初代セント・ヴィンセント伯爵ジョン・ジャーヴィスを存命二人目の海軍元帥に任じた[注釈 1]。1830年にはウィリアム4世が海軍元帥の人数を3人に増やしたが、終身現役制度はその後終わりを迎えた。

また1854年から1857年にかけて、海軍の最先任士官たる海軍元帥が存在しなかった。この当時の最先任であったトマス・ル・マーチャント=ゴセリン英語版提督が健康上の理由から海上勤務ができなかったのである[8][9]。ゴセリンが死去するまで元帥は空位とされ、その死後の1857年にサー・チャールズ・オーグル英語版提督に引き継がれている。

その後制服組のトップとしてファースト・ネイヴァル・ロード(1904年以降は第一海軍卿)が設けられると、海軍元帥はその権限を失っていった。

20世紀

イギリス海軍の色別戦隊は1864年に廃止されたが、元帥の階級は残された。

エディンバラ公爵フィリップ王配は1954年にエリザベス2世の即位に併せて、ニュージーランド海軍元帥に任命された。ニュージーランド海軍の階級であり、イギリス海軍の階級とは分けられた[10]

1959年に国防参謀総長が創設されると、この役職に就いた5人の士官が元帥に任命された。冷戦後に空軍の縮小が承認されると、1995年にサー・ベンジャミン・バサースト英語版が任命されたのを最後に以降の任命がない。それでも廃止されることはなく、2012年にイギリス軍の最高司令官である女王エリザベス2世を補佐した功績が認められ、ウェールズ公チャールズ(のちのチャールズ3世)が陸・海・空軍元帥に任命された。また2014年にボイス男爵(元第一海軍卿、国防参謀総長)が元帥に任命された[11]

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海軍元帥の一覧

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脚注

関連項目

外部リンク

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