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清家正

日本のエンジニア (1891-1974) ウィキペディアから

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清家 正(せいけ ただし、1891年12月23日 - 1974年11月19日)は、日本の教育者および機械設計製図の研究で知られる機械工学者である。愛媛県出身。

建築家東京工業大学教授兼東京藝術大学教授を務めた清家清の父。労働経済学者で慶應義塾塾長や日本私立大学連盟会長を歴任した清家篤は孫。

略歴

1914年 東京高等工業学校(現東京工業大学)機械科を卒業後[1]、芝浦製作所(現東芝)に入社[1]。その後、自ら起業したり、他の企業に勤めたりした後、1923年神戸高等工業学校(現神戸大学工学部)教授となる[1]1935年東京府立電機工業学校校長となり、後に府立工業専門学校校長を併任し、1951年まで歴任[1]1949年東京都立大学工学部長。1954年東京都立工業短期大学学長。1926年に刊行した『科学的研究に基ける製図論』は好評を博し、太平洋戦争時まで版を重ねた[1]

この他、日本工業経営学会会長[2]明星大学理工学部長を歴任。神戸高等工業学校赴任時にはパワー社の設立にも関わった[3]

主たる著作

  • 清家正『交流電機の捲線法』(増補版)パワー社出版部、1943年。 NCID BA52604694https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I000507750-00
  • 『科学的研究に基ける製図論』
  • 『電機子の巻線〈直流機編〉』ISBN 9784827720211

論文

関連項目

脚注

文献

外部リンク

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