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渡辺信吉
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渡辺 信吉(わたなべ のぶよし、1897年(明治30年)1月12日[1] - 1965年(昭和40年)4月27日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功三級[2]
経歴
1897年(明治30年)に佐賀県で生まれた[1]。陸軍士官学校第29期、陸軍大学校第39期卒業[1]。1939年(昭和14年)3月9日、陸軍歩兵大佐進級と同時に台湾歩兵第2連隊長(第21軍・台湾混成旅団)に着任し[2]、日中戦争に出動[1]。1940年(昭和15年)3月9日に第1船舶輸送参謀長に転じ[2]、9月14日に陸軍運輸部部員となった[2]。1942年(昭和17年)7月19日に第1船舶輸送地区隊長(船舶兵団)に就任し[1]、アンボンに出征[1]。11月24日に第3船舶団長に転じ[1]、1943年(昭和18年)3月に陸軍少将に進級した[2]。
1944年(昭和19年)4月17日に第5船舶輸送司令官兼第3船舶団長となり[3]、ダバオに移る[1]。8月15日に免兼職となり[4]、1945年(昭和20年)1月15日に兼小樽陸軍輸送統制部長となった[5]。2月1日に陸軍船舶練習部長に就任し[1]、5月7日に新潟陸軍輸送統制部長兼第1船舶輸送司令部北陸支部長に転じた[6]。
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脚注
参考文献
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