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渡辺汀
日本の海軍軍人、政治家、華族 ウィキペディアから
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渡辺 汀(わたなべ みぎわ、旧字体:渡邊 汀、1883年(明治16年)9月1日[1] - 1945年(昭和20年)2月5日[1][2])は、日本の海軍軍人、政治家、華族。最終階級は海軍大佐。貴族院男爵議員。旧姓・瀧口[1][3]。

経歴
長崎県で瀧口素平の二男として生まれ、元老院議官・渡辺清の養子となる[1][3]。養父の死去に伴い、1905年(明治38年)1月16日に男爵を襲爵した[1][4]。
1905年11月28日、海軍兵学校(33期[5])を卒業し[6]、1906年(明治39年)12月20日、海軍少尉に任官した[6]。海軍砲術学校、海軍水雷学校で研鑽を積んだ[2][3]。筑摩分隊長、相模分隊長、香取分隊長、曙駆逐艦長、尼港占領連合陸戦隊参謀兼副官、朝日砲術長兼砲術学校教官などを歴任[2]。海軍大佐に進み、1927年(昭和2年)予備役に編入された[2][3]。
1931年(昭和6年)1月17日、貴族院男爵議員補欠選挙で当選し[2][7][8]、公正会に所属して活動し、死去するまで在任した[2][9]。その他、国家総動員審議会委員、内務省委員、泰東書道院副会長などを務めた[2][3]。
栄典
親族
脚注
参考文献
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