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湊築島弁天社
愛知県豊橋市湊町7-2の湊神明社にある神社 ウィキペディアから
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湊築島弁天社(みなとちくしまべんてんしゃ)は、愛知県豊橋市湊町7-2の湊神明社(みなとしんめいしゃ)にある神社。登録有形文化財。
吉田城から豊川を下流に約500m下った場所に湊神明社(幡多厨神明社)があり、池に浮かぶ築島に湊築島弁天社がある[1][2]。
祭神
歴史
創建
宗偏流の開祖である茶人の山田宗偏は、湊神明社にある池の中央に庭園として蓬莱之島を造った[3]。天和3年(1683年)、庄屋が蓬莱之島に弁天社を建立した[3]。弁天社は茶道や琴などの芸事の神として信仰された[3]。寛政7年(1795年)の棟札が残っている[1]。
近現代の歴史
明治初期の廃仏毀釈によって、弁天社には市杵島姫神命が祀られ、市杵島社に改称した[1]。太平洋戦争後に弁天社に戻し、築島弁天社と呼ばれている[1]。
2003年(平成15年)の台風では屋根の一部と欄干が破損した[3]。2006年(平成18年)、2400万円を投じた修復工事が完了した[3]。
祭礼
おんぞ祭り
湊神明社ではおんぞ祭りが行われており、かつては「吉田の三大祭り」に挙げられていた[4]。伊勢神宮の神御衣祭に因んだ祭りであり[4]、元和年間(1615年~1624年)に町屋の女の祭りとして始まったとされる[5]。機織り、糸紡ぎ、裁縫を仕事とする女はこの日だけは仕事を休む[5]。遠江国引佐郡三ヶ日(現・静岡県浜松市浜名区三ヶ日町岡本)の初生衣神社(うぶぎぬじんじゃ)で織った御衣を出迎え、翌日には豊川から船で伊勢神宮に奉納した[5]。
1875年(明治8年)に中止されたが、戦後の1949年(昭和24年)に再び行われるようになった[4]。現在は伊良湖岬からフェリーに乗って御衣を奉納している[5]。
文化財
登録有形文化財
現地情報
- 所在地
- 交通アクセス
脚注
外部リンク
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