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滝川平利
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滝川 平利(たきがわ ひらとし)は、江戸時代中期の旗本。通称は民部、三郎四郎。
生涯
元禄元年(1688年)、旗本寄合席の滝川具章の次男として生まれた。母は某氏で、父が40代半ばで生まれた子である[1]。
元禄9年(1696年)3月、父が京都町奉行に任命されて京都に赴任することになり、暇乞いのために登城した父に従って初めて徳川綱吉に御目見した[2]。このとき、まだ9歳であった。
元禄14年(1701年)、長兄の滝川数馬利忠が死去し、父の嫡男となった[1]。
正徳2年(1712年)、父が死去し、跡目を許された。このとき、父の生前の願い出により遺領1500石のうち300石は弟の邦房に分与され、近江国内1200石を相続した[3]。
脚注
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