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滝村弘方

明治時代の浮世絵師 ウィキペディアから

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瀧村 弘方(たきむら ひろかた、明治元年〈1868年〉 - 明治22年〈1889年〉6月)とは、明治時代の浮世絵師

来歴

河鍋暁斎の門人。姓は名鏡、後に瀧村を称す。名は次郎吉。洞春または同春とも号す。尾形月耕の弟。明治中期に新聞錦絵と挿絵を少数描いている。明治17年(1884年)、第2回内国絵画共進会に「人物」を出品している。ただし東京日日新聞によると、「遊女の図」という題となっている。明治18年(1885年)刊行の合巻『襲褄辻花染』(かさねづまつじがはなぞめ)一冊などの挿絵が知られる。この作品は文政7年(1824年)に刊行された際には、歌川豊国が挿絵を描いている。同じく明治18年(1885年)刊行の合巻『膏油橋河原祭文』(あぶらばしかわらさいもん)の挿絵も手掛ける。明治22年(1889年)6月、投身自殺したとも、また溺死したともいう[1]。享年22。

作品

脚注

参考文献

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