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滝田菊江

昭和時代の声楽家 ウィキペディアから

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滝田 菊江(たきた きくえ、1912年11月15日[1] - 1949年8月6日[2][3])は、昭和時代の声楽家

経歴

東洋音楽学校[3][2]ソプラノを専攻[2]。1935年頃から歌手としての経歴が始まる。レコード会社はビクター藤原歌劇団のプリマドンナとして活躍したが、三十代で病没した。

父は総合雑誌『中央公論』の名編集者として知られる滝田樗陰で、その三女。滝田菊江の「デビューのときは、かつて樗陰の庇護を受けた文壇大家が、こぞって後援したので、舞台より客席のほうが豪華版だと評判になった」[4]という。

1943年の東宝映画「音楽大進軍」(渡辺邦男監督)に藤原義江(本人役)の妻という設定で出演していて、藤原義江とともに「愛国行進曲」とプッチーニトスカ」二重唱を歌唱する姿を見ることができる。

1935年のJ.O.スタヂオ映画「百万人の合唱」(富岡敦雄監督)では、滝田菊江・渡辺はま子・静ときわ・静みどりの計4人で「ビクター四人娘」として出演している。

映画では1948年の東宝・日本映画社の「幸運の椅子」(高木俊朗監督)の第4話にも出演している。

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脚注

参考文献

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