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無象静照

鎌倉時代の臨済僧 ウィキペディアから

無象静照
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無象静照(むぞう じょうしょう)は、鎌倉時代臨済宗禅僧。法海派の開祖。北条得宗家や鎌倉の聖・俗界と南宋禅林を繋ぐキ-パースンとして活動した。北条時頼の近親で東福寺円爾に学び、1252~65年に入宋して高僧石渓心月・虚堂智愚に随侍し、渡来僧の蘭渓道隆・大休正念・無学祖元と親交を結んだ[3]

概要 無象静照, 諡号 ...
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虚堂智愚が「日本照禅者」(無象静照とされる)に与えた偈頌(通称・破れ虚堂)

経歴・人物

鎌倉に誕生。北条時頼の近親者。はじめ東福寺円爾に師事。円爾の推薦状を携え建長4年(1252年)に渡し、径山にのぼり、石渓心月に参じて、その法を嗣ぐ。その後育王山の知客となり虚堂知愚に隋侍する。

文永2年(1265年)、在宋14年にして帰朝。鎌倉建長寺蘭渓道隆の会下に連なる。山城の仏心寺の開山となる。鎌倉に龍華山真際精舎を創建、相州胡桃谷法源寺に住する。建治3年(1277年)、博多聖福寺に晋山。このころ常陸に興禅寺開創。鎌倉に戻り、真際庵に居す。北条師時、大休正念[4]を開山として鎌倉に浄智寺を開き、真際庵は移転してその本庵となる。無象は真際庵の跡地に鎌倉大慶寺を開く。弘安年間(1278-88年)の初め、北条時宗は無象を請じ、石渓を勧請開山として武蔵国に正福寺を開く。正応2年(1289年)、丹波の宝林寺の開山となる。正応3年(1290年)、京都仏心寺に入る。正安元年(1299年)、相模大慶寺にいるとき、北条貞時に招かれ、鎌倉浄智寺の住持となる。北条貞時は浄智寺を五山に列した。

嘉元4年5月15日1306年6月26日)、浄智寺真際庵で入寂。無学祖元の伝記史料「仏光禅師行状」を撰述するなど、入宋中に知りあった無学祖元とは、無学が来日して寂するまで非常に親しい関係にあった。

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脚注

参考文献

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