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熱海ゴルフ倶楽部
日本の静岡県熱海市にあるゴルフ場 ウィキペディアから
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熱海ゴルフ倶楽部(あたみゴルフくらぶ)は、静岡県熱海市伊豆山に広がるゴルフ場である。
概要
熱海ゴルフ倶楽部は、1939年(昭和14年)5月28日、9ホールで開場した[1]。戦時下に造られた最後のゴルフコースで、静岡県で開場されたゴルフ場では「川奈ホテルゴルフコース」に次いで第2番目で、全国では第30番目に歴史あるゴルフ場である[1]。
1941年(昭和16年)12月、太平洋戦争が始まり、 1942年(昭和17年)、横須賀海軍陸戦隊に接収され、砲台基地とされた[1]。1944年(昭和19年)、経営難になり、コースは、岩崎精一郎の「株式会社熱海ゴルフ」に譲渡された[1]。 1945年(昭和20年)8月、終戦を迎え、3ホールが芋畑になった[1]。 1946年(昭和21年)、米国第8軍に接収され9ホールで復活した[1]。 1952年(昭和27年)5月、講和条約発効により返還され、三井グループの保養地となったが、2003年(平成15年)7月「株式会社熱海ゴルフ」が経営することになった[1]。
熱海ゴルフ倶楽部は、コースから相模湾、大島、初島や熱海市街を見渡すことが出来る[1]。 コース設計を赤星四郎が行い、コースの施工は、人力だけによるコース造成で、モッコとツルハシを使った手作りのコースで、地形を活かし起状に富んでおり、アリソンバンカーが待ち構え、挑戦意欲を感じさせるレイアウトになっている[1]。
また、静岡県下で赤星四郎が設計したコースは、「熱海ゴルフ倶楽部」(1939年(昭和14年)開場)、「富士カントリークラブ」(1958年(昭和33年)開場)、「御殿場ゴルフ倶楽部」(1971年(昭和46年)開場)、「伊豆にらやまカントリークラブ」(1982年(昭和57年)開場、東・中コース)など4コースがある。
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歴史
- 1939年(昭和14年)5月 - 9ホール規模のコース開場、同年、12ホール増設
- 1941年(昭和16年)12月 - 太平洋戦争勃発
- 1942年(昭和17年) - コースが横須賀海軍陸戦隊に接収され砲台基地となる
- 1944年(昭和19年) - 経営困難になり、「株式会社熱海ゴルフ」に譲渡される
- 1945年(昭和20年)8月 - 終戦、3ホールが芋畑となる
- 1946年(昭和21年) - 米国第8軍スペシャルサービスに接収され9ホールで復活
- 1952年(昭和27年)5月 - 講和条約発効により返還、三井グループの保養地となる
- 2003年(平成15年)7月 - 運営会社が「株式会社熱海ゴルフ」となる[2]
所在地
〒413-0002 静岡県熱海市伊豆山1171番地
コース情報
- 開場日 - 1939年5月28日
- 設計者 - 赤星 四郎
- コースタイプ - 山岳コース
- コース - 9ホールズ、パー33、2,234ヤード、コースレート72.3
- グリーン - 2グリーン、ベント(ペンクロス)、コーライ
- プレースタイル - 乗用カート(5人乗り)リモコン式、キャディ・セルフ選択可
- 休場日 - 年中無休[3][4]
ギャラリー
交通アクセス
鉄道
道路
エピソード
- 「熱海ゴルフ倶楽部」の発起人には、大谷光明、赤星四郎などの「東京ゴルフ倶楽部」のコース設計に携わった名前が並ぶなど、東京ゴルフ倶楽部朝霞コースの代替コースだったという説がある[8]。
- 「熱海ゴルフ倶楽部」が、なぜ、9ホール規模のゴルフ場なのかについてだが、別荘販売でコースを増設する試みであったそうで、時代のためか計画は成功しなかった[8]。
- 1939年(昭和14年)、12ホールが開場とき、作家の邦枝完二は、雑誌『ゴルフ』誌に書いている、「12ホールのうち、ショートホールが6ホールある、バーディチャンスが待っている様なものだ」と嬉しそうに言った[8]。
- 1939年(昭和14年)、開場された当時、雑誌『ゴルフ』誌には、「グリーンフィ300円、日祭日500円。一口百坪の豪華な庭園付きゴルフ村分譲」の、開場記念の広告が掲載された[8]。
脚注
関連文献
関連項目
外部リンク
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