トップQs
タイムライン
チャット
視点

毛利山城

ウィキペディアから

毛利山城
Remove ads

毛利山城(もうりやまじょう)、または牛ヶ鼻砦(うしがはなとりで)[2]は、岐阜県美濃加茂市愛宕山[3]にあった日本の城山城)。

概要 logo毛利山城 (岐阜県), 別名 ...

概要

加治田城の南方7キロメートル、JR古井駅北方の飛騨川右岸に面した丘陵(愛宕山)上に位置し、川の断崖絶壁に臨む堅固な山城(要害)であった[4]

岐阜城主・織田信孝家老で加治田城主の斎藤利堯が、兼山城主・森長可の不穏な動きに対抗して天正10年(1582年)に築いた[5]。織田信孝も兵を遣わしていた。利堯の重臣・西村治郎兵衛を中心とする加治田衆が城代、城番を行っていた。

加治田・兼山合戦の前哨戦として、当城にて加治田衆と森軍が戦い、森軍の2度の攻撃に落城しなかった。両軍休戦となり、西村治郎兵衛ら加治田衆は本城の加治田城攻城戦のため引き揚げ[4]、空となった砦は同年7月3日(1582年8月1日)に各務元正らの森軍が占拠した[5]

その後、森長可の領地加増のため城を統合し、加治田城と共に廃城となった[2]

現在

城跡は「こびの天狗山」と呼ばれる宗教団体荒薙教の本部敷地となっている。曲輪空堀石垣が残り説明板がある。眼下に飛騨木曽川国定公園の飛騨川を望む景勝地となっている。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads