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猿渡信光

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猿渡 信光(さるわたり のぶみつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将島津氏の家臣。官位は掃部兵衛、後に越中守。

概要 凡例猿渡信光, 時代 ...

生涯

猿渡氏平高望の後裔。天文3年(1534年)、猿渡信資の子として誕生。

島津氏に仕え、支配領である加世田羽月地頭職を歴任した。武勇に優れ、肥後国侵攻や天正12年(1584年)の沖田畷の戦いなどで活躍。特に沖田畷の戦いでは、1千人の兵を率いたとされ、島津・有馬連合軍の総兵が6千~8千というので、部隊長としてかなりの軍権を有したと推測される。また、この合戦で嫡子の彌次郎[1]が戦死している。

天正15年(1587年)、豊臣秀吉による九州平定の際の根白坂の戦いで戦死した。

脚注

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