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甘州
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魏晋南北朝時代
隋代
隋初には、甘州は2郡7県を管轄した。583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、甘州の属郡は廃止された。607年(大業3年)、郡制施行に伴い張掖郡と改称され、下部に3県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
唐代
619年(武徳2年)、唐が李軌を平定すると、張掖郡は甘州と改められた。742年(天宝元年)、甘州は張掖郡と改称された。758年(乾元元年)、張掖郡は甘州と改称された。甘州は河西道に属し、張掖・刪丹の2県を管轄した[2]。安史の乱以後、甘州は吐蕃に占領されて、その統治を受けた。849年(大中3年)、帰義軍が甘州を奪回した。886年(光啓2年)、河西ウイグルが甘州を占拠し、甘州ウイグル王国が建てられた。
宋代・西夏
1028年(天聖6年)、李元昊が甘州を陥落させた[3]。1036年(大慶元年)に甘州は鎮夷郡と改められ、さらに西夏により宣化府と改められた。
元代
1226年(太祖21年)、モンゴル帝国が宣化府を陥落させたが、宣化府は甘州の称にもどされた。1264年(至元元年)、甘粛路総管府が置かれた。1271年(至元8年)、甘州路総管府と改められた。1281年(至元18年)、甘粛等処行中書省が立てられて、甘州路はこれに属した[4]。
明代
清代以降
脚注
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