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甘露寺忠長 (1909年生)
明治時代から昭和時代にかけての華族 ウィキペディアから
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甘露寺 忠長(かんろじ ただなが、1909年〈明治42年〉4月29日[1] - 1937年〈昭和12年〉3月24日[1])は、明治時代から昭和時代にかけての華族[2]。伯爵甘露寺受長の嗣子[2]。位階は従五位[2]。
生涯
1909年(明治42年)4月29日、甘露寺受長の長男として誕生する[1]。母は北白川宮能久親王第一王女の満子女王[1]。姉に績子、壽子がいる[1]。
1929年(昭和4年)5月15日、20歳で従五位に叙爵された[3]。
1930年(昭和5年)3月28日、旧制学習院高等科文科丙類を卒業した[4]。同年4月3日、京都帝国大学経済学部に入学した[5]。
脚注
参考文献
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