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田付辰子

日本の外交官、翻訳家 ウィキペディアから

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田付辰子(たつけ たつこ、1899年6月15日-1957年9月18日)は、外交官翻訳家。 外交官田付七太の娘。3歳のとき両親とフランスに行き18歳までパリで暮し、ソルボンヌ大学卒。外務省情報文化局事務官となる。1954年吉田茂首相の外遊に随行、日仏児童作品の交換、松方コレクションの返還交渉に当たった。同年パリ名誉市民となり、その年の第5回NHK紅白歌合戦では審査員を務めた。著作・翻訳では「たつ子」表記を用いた。

著書

  • 『パリの甃』読売新聞社、1955年。 NCID BN05225717[1][2]
  • 『パリの雀(モアノ)』大日本雄弁会講談社〈ミリオンブックス〉、1956年。 NCID BN14140590 ―『パリの雀』他4篇[2]
  • 『パリの俄雨 : ジブレ』大日本雄弁会講談社〈ミリオンブックス〉、1957年。 NCID BN14139999[2]
  • 『パリの残雪』大日本雄弁会講談社〈ミリオンブックス〉、1957年。 NCID BN15269457

翻訳

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脚注

外部リンク

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