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田島敏弘
日本の実業家 ウィキペディアから
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田島 敏弘(たじま としひろ、1919年(大正8年)10月9日 - 1995年(平成7年)4月17日)は日本の実業家。日本興業銀行副頭取や、富士重工業の社長や会長を務めた。
人物
1942年に旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業し、日本興業銀行入行。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、同年9月に海軍経理学校に入校[1]。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業[1]。北浦海軍航空隊に配属[1]。名古屋監督官事務所に転じ、のち造兵監督官に就任し材料関係を担当した[1]。1944年(昭和19年)5月に海軍主計大尉に進み終戦を迎えた[1]。戦後、GHQとの渉外に従事[1]。
その後、日本興業銀行に復帰し、融資第三部長、調査本部長、常務、副頭取、顧問を歴任。
1983年、同じく日本興業銀行出身の大原栄一富士重工業社長の要請を受け、富士重工業の副社長に就任[2]。1985年代表取締役社長、1990年代表取締役会長。スバル・レガシィを発売。またいすゞ自動車と共同出資でアメリカ合衆国インディアナ州に現地生産会社、スバル・いすゞ・オートモーティブ(現スバル・オブ・インディアナ・オートモーティブ)を設立するなど米国進出も進めた[3]。
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略歴
脚注
参考文献
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