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田村守衛

日本の軍人 (1871-1923) ウィキペディアから

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田村 守衛(たむら もりえ、1871年4月7日明治4年2月18日) - 1923年6月13日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

山梨県東山梨郡相興村中尾(現:笛吹市一宮町)に宮司・田村義事の息子として生まれる。1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業。同年9月、騎兵少尉任官。1901年(明治34年)11月、陸軍大学校(15期)を首席で卒業。参謀本部編制班に配属された。

日露戦争大本営参謀として出征し、さらに満州軍参謀に転じた。1914年(大正3年)1月、歩兵大佐に昇進し関東都督府高級参謀に就任。1917年(大正6年)4月、陸大幹事となり、1918年(大正7年)7月、陸軍少将に進級。同年8月、騎兵第1旅団長に就任し、1921年(大正10年)7月、陸軍騎兵学校長に就任。1922年(大正11年)2月、陸大校長となるが、1923年(大正12年)6月、在職中に病没し陸軍中将に進んだ。墓所は多磨霊園[1]

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

参考文献

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