トップQs
タイムライン
チャット
視点

畑中純

ウィキペディアから

Remove ads

畑中 純(はたなか じゅん、1950年3月20日 - 2012年6月13日)は、日本漫画家。男性。福岡県小倉市(現:北九州市)出身。漫画家としてだけでなく、版画家としても活動した。

概要 はたなか じゅん畑中純, 本名 ...

経歴

16歳の時に漫画家を志すようになり、福岡県立小倉南高等学校卒業後、1968年に上京し、東京デザインカレッジ・マンガ科に在籍。肉体労働をしながら、1コマ漫画を描き始める。1974年に1コマ漫画集『それでも僕らは走っている』を自費出版[1]1977年月夜』でデビュー[1]1979年から『週刊漫画サンデー』(実業之日本社)にて10年近く続いた連載『まんだら屋の良太』(第10回(1981年度)日本漫画家協会賞受賞)で知られるようになる。本作は2006年、フランスで『RYOUTA DU MANDALA』として翻訳刊行された[2]。2007年より、東京工芸大学芸術学部マンガ学科教授をつとめた。

1984年には夜久弘つげ義春作品発表のために創刊した『COMICばく』創刊号に掲載されることになったつげの『散歩の日々』に登場するH君を、夜久はつげと同じ町内に住む畑中純だと直感した。夜久は畑中の仕事場で多くのイラストを見たが、をイメージの世界に自由に遊ばせ際限なく描き続けた作品の一部を「月夜の音楽会」と題して巻頭に11頁にわたり掲載(カラー3枚、モノクロ6枚)した。『COMICばく』全15巻の表紙の版画をすべて担当した[3]

2012年6月13日、腹部大動脈瘤破裂のために死去[4][5]62歳没

Remove ads

作風

独特の絵柄とともに、暴力性・エログロナンセンス・幻想性などを、力強い庶民性で健康的なユーモアへと異化させる、個性的な作風を持つ[6]。版画を用いた表紙を描くことが多い。

デビュー前に志向していた1コマ漫画は、トミー・ウンゲラー久里洋二の影響を受けていたものであったが、デビュー以後にストーリー漫画を描くようになってからは、つげ義春山上たつひこの影響を受けるようになる[6]

主な漫画作品

関連人物

脚注

参考文献

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads