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相原俊子
日本の元体操選手 ウィキペディアから
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相原 俊子(あいはら としこ、1939年〈昭和14年〉6月3日[1] - )は、日本の元体操選手。旧姓、白須(しらす)[1]。現在は群馬県高崎市に在住し、群馬県スポーツ指導者協議会理事を務めていた。
経歴

後に同じ日本代表としてオリンピックでメダルを獲得する池田敬子が学んだ三原高等学校で学ぶ[1]。3年連続でインターハイに出場し、3年時には個人総合4位に入賞[1]。日本体育大学に進学。
1960年のローマオリンピックでは団体総合で4位入賞[1]。1962年プラハで開催された世界選手権では団体総合で3位、個人でも床6位、個人総合10位の記録を残した[1]。1964年の東京オリンピックでは、池田らとともに出場した女子団体総合で銅メダルを獲得[1]。個人でも跳馬4位、段違い平行棒4位に入賞した[1]。
夫は同じ体操選手で1960年ローマオリンピック金メダリストの相原信行[1]。
1979年、群馬県高崎市で夫と2人で開いた体操クラブから、1992年バルセロナオリンピック銅メダリストの相原豊と相原誠を輩出している。
出典
関連項目
外部リンク
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