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百人秀歌
藤原定家の撰による歌集 ウィキペディアから
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概要

一般には、定家撰の『百人一首』の前に記された物であると考えられている[1][2]。『百人一首』が1首ずつ年代順に記されているのに対し、『百人秀歌』は2首で1組という構成になっている。
『百人一首』に記されている100人100首の歌と比べると、98人の歌人による97首の歌が一致しているが、3首は異なり、1首が多く、百人秀歌には合計101首の歌が歌合せの形で採録されている。なぜこのような採用になっているかは定かではないが、承久の乱を計画し鎌倉幕府に流罪処分を受けていた最中の後鳥羽院と順徳院の歌が『百人一首』にあり『百人秀歌』に無い事から、百人一首にも当初は無かったものが後世に差し替えられたとの説がある。採られている歌の相違点を比較すると『百人秀歌』の方が古態を留めていると考えられるケースが多いことから、本書は『百人一首』の原撰本(プロトタイプ)であると考えられている。
写本は宮内庁書陵部に現存する。
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小倉百人一首との主な相違点
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関連項目
- 小倉検定協会
- 小倉百人一首文化財団
- 時雨殿(小倉百人一首文化財団が運営するテーマパーク)
- 決まり字
- 東洋大学現代学生百人一首
- 百人一首一夕話
- 丸谷才一(『新々百人一首』を上梓)
- 林直道(百人一首の研究者、共通した札ごとに並べると風景をイメージさせる事に気づいた歌織物説)
- 五人一首
- 宝塚歌劇団(創立当初、劇団員の芸名は百人一首にちなんだ名がつけられていた)
- フレデリック・ヴィクター・ディキンズ
- 宇都宮市 - 宇都宮頼綱(宇都宮蓮生)が百人一首のルーツに関わっているため、「百人一首と和歌の都」としてPRしている[3]。
脚注
外部リンク
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