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百済王仁貞
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百済王 仁貞(くだらのこにきし にんじょう)は、奈良時代の貴族。官位は従四位下・右中弁。
経歴
桓武朝に入り、天応元年(781年)近衛員外少将に遷る。天応2年(782年)播磨介に転じると、備前介・延暦4年(785年)備前守と桓武朝初頭は山陽地方の地方官を務める一方で、延暦2年(783年)従五位上に昇叙される。
延暦8年(789年)中宮亮として京官に復すと、延暦9年(790年)正五位上・左中弁、延暦10年(791年)従四位下と要職の弁官に抜擢され急速に昇進した。
延暦10年(791年)7月29日卒去。最終官位は左中弁従四位下。
官歴
『続日本紀』による。
系譜
脚注
参考文献
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