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皇帝たちのフォルム
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皇帝たちのフォルム(こうていたちのフォルム、ラテン語: Fora Imperatorum, イタリア語: Fori Imperiali)は、ローマ帝国時代のローマ中心部の地区の呼び名で、紀元前46年から113年までの1世紀半の期間に、皇帝たちが公共広場フォルムを造った地区のことである。それまで国の中心であったフォルム・ロマヌムが手狭になったため、北側に隣接した土地に新たな政治・経済・宗教の中心施設を造ることを目的に、ガイウス・ユリウス・カエサルが計画し、建設を始めた。

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主要施設一覧

- カエサルのフォルム(紀元前46年)
- アウグストゥスのフォルム(紀元前2年)
- 軍神マルス神殿
- ウェスパシアヌスのフォルム(75年) ‐ 神殿中心の施設のため平和の神殿(Tempio della Pace)と通称される
- ネルウァのフォルム(97年)
- トラヤヌスのフォルム(112年)
フォーリ・インペリアーリ通り


ムッソリーニ時代の1932年に皇帝たちのフォルムの上に建設された大通りで、コロセウムとヴェネツィア広場を直線で繋ぐ幅30m、長さ約1kmの道(it:Via dei Fori Imperiali)。
1922年にローマ進軍を成功させたムッソリーニは、自らを古代ローマ皇帝の後継者と位置づけ、新しい「ローマ帝国」の建設を国民に印象づけるため、古代ローマ帝国の栄光を称揚し、ファシスト体制の威厳を示すものとして、1924年よりこの大通りの建設を始めた[1]。造成予定地に密集していた住居や店舗が一掃され、建設工事により、皇帝たちのフォルムの多くの遺跡が発掘され、破壊もされた[1]。
当時この道はVia dell' Impero(帝国通り)と名付けられ、開通した1932年には、ファシズム政権樹立10周年記念として軍事パレードが開催された[1]。通り沿いの壁面には古代ローマの領土拡大の経過を示す地図が4点掲げられ、1936年にはアフリカでのイタリアの軍事拡大を示す地図も掲げられたが、第二次大戦後、古代ローマ成立初期の一枚を除いてすべて撤去された[2]。通りの名も現行のフォーリ・インペリアーリ通り(皇帝たちのフォルム通り)に変更された。
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参考文献
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