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真の世界ヘビー級王座
新日本プロレスの王座 ウィキペディアから
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真の世界ヘビー級王座(しんのせかいヘビーきゅうおうざ、sekai hebī-kyū ōza World Heavyweight Championship)は、新日本プロレスが管理していた王座[1]。
歴史
1972年3月6日、大田区体育館で開催した新日本プロレスの旗揚げ戦でカール・ゴッチがアントニオ猪木を破って初代王者に認定された。チャンピオンベルトは1962年9月11日から1964年9月7日までゴッチが保持していたAWA世界ヘビー級王座(アメリカン・レスリング・アライアンスが管理、認定しているオハイオ版)[注釈 1][注釈 2]のチャンピオンベルト(レプリカ)[2]を利用していた[3]。10月4日、新日本プロレス蔵前国技館大会で猪木がゴッチを破って奪取。10月9日、新日本プロレス広島県立体育館大会で猪木はレッド・ピンパーネルとの防衛戦に勝利して初防衛に成功[4]。10月10日、新日本プロレス大阪府立体育館大会でゴッチは猪木を破って奪還して最後の王者になった[5]。
タイトル履歴
カール・ゴッチが保持していたAWA世界ヘビー級王座の経緯は以下のとおりである。AWA世界ヘビー級王座(ボストン版)にある「オハイオ版」とは別の王座である[注釈 2]。
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ノート
- Not to be confused with the AWA World Heavyweight Championship promoted by the Verne Gagne's American Wrestling Association
- カール・ゴッチが獲得したとされるAWA世界ヘビー級王座(オハイオ版)は、1959年4月にNWAを脱退してロサンゼルスからデトロイトに移ったジョニー・ドイル、シンシナティを配するジム・バーネットを中心にNWAの会員ではなかったプロモーター達が設立したAWA(アメリカン・レスリング・アライアンス)が管理、認定していた王座。ミネアポリスを中心に活動していたAWA(アメリカン・レスリング・アソシエーション)とは別のプロレス団体であった。1960年、サンフランシスコをジョー・マルセウィッツの一派から引き継いだ(乗っ取り説もある)ロイ・シャイアー、インディアナポリスのボーク・エステスも提携していた。エステスがコロンバスを有して当地で主にタイトルマッチが行われていた。1964年、ドイルとバーネットはオーストラリアへ移り、インディアナポリスもエステスからディック・ザ・ブルーザーへと渡るとAWA(アメリカン・レスリング・アライアンス)は自然消滅している。1964年9月7日、コロンバスでAWA世界ヘビー級王者の(オハイオ版)ゴッチ(カール・クラウザー)、NWA世界ヘビー級王者のルー・テーズによる王座統一戦でゴッチが敗れてAWA世界ヘビー級王座(オハイオ版)を失って消滅している。ブルーザーはWWAを設立して、シャイアーやバーネットらは後にNWAの会員になった。
参考文献
関連項目
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