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矢島錦蔵

日本の教育者 ウィキペディアから

矢島錦蔵
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矢島 錦蔵(やじま きんぞう、1861年文久元年) - 1916年大正5年)7月5日[1])は、日本教育者

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矢島錦蔵

経歴

島原藩出身。攻玉社で学んだ後、1877年明治10年)に駒場農学校に入学。4年後に卒業し農学士の称号を得た。学習院の教員となり、東京府尋常師範学校教頭、同校長、静岡県尋常師範学校校長、札幌尋常中学校校長、神宮皇學館教頭・教授を歴任し、1899年(明治32年)に群馬県師範学校に就任した。

その後、1903年(明治36年)から1916年(大正5年)3月まで再び神宮皇學館の教授を務めた[2]

著書

  • 『普通倫理学』(1890年)
  • 『倫理学講義』(冨山房、1901年)
  • 『普通礼法』(文学社、1901年)

脚注

参考文献

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