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石井常次郎

日本の海軍軍人 ウィキペディアから

石井常次郎
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石井 常次郎(いしい つねじろう、1887年11月18日 - 1951年1月16日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

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石井常次郎

経歴

大阪府出身。1910年(明治43年)4月、海軍機関学校(18期)を卒業。同年12月、海軍機関少尉任官。1916年(大正5年)12月、海軍大学校機関学生となり、1918年(大正7年)12月、戦艦日向分隊長に着任。機関学校教官兼監事を経て、1920年(大正9年)12月、機関少佐に昇進し舞鶴海軍工廠造機部員となる。

1923年(大正12年)4月、舞鶴要港部員となり、艦政本部員などを歴任し、1925年(大正14年)12月、機関中佐に進級。艦政本部出仕(米国出張)、艦政本部員などを経て、1930年(昭和5年)12月、機関大佐に昇進した。

1931年(昭和6年)11月、艦政本部総務部第3課長となり、兼海大教官、艦本総務部第4課長を歴任し、1936年(昭和11年)12月、海軍少将に進級し海軍燃料廠平壌鉱業部長に就任。

1937年(昭和12年)4月、燃料廠鉱業部長に就任し、艦本造船造兵監督長兼東京監理長、兼東京監査長を歴任し、1940年(昭和15年)11月、海軍中将に進み舞鶴工廠長となった。1941年(昭和16年)10月、軍令部出仕となり、同月、予備役に編入された。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。墓所は多磨霊園

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脚注

参考文献

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