トップQs
タイムライン
チャット
視点
神明宮 (横浜市神奈川区)
ウィキペディアから
Remove ads
神明宮(しんめいぐう)は神奈川県横浜市神奈川区にある神社。境内を流れていた上無川(かみなしがわ)は、「神奈川」の由来の一説でもある。
祭神
歴史
1299年(正安元年)の勧請と伝わる[1]。 別当寺だった能満寺も同年創建と伝えられ[1]、創建から密接不離な関係があったと思われる[2]。上無川に流れて来た牛頭天王像の話が伝わる。概略は以下。
上無川に流れて来た牛頭天王像を拾った村人は、祟りを畏れてまた川に流してしまったところ、一家悉く眼病に罹ってしまった。神罰かと、下流から海中まで探したが見つからず、代わりに見つかった神面を祀ったところ、忽ち眼病が平癒したため、この宮を神面社と称した。ところが、村は大いに荒れたので、神面は境内へ埋め、神明社と改称して大神宮を祀るようになった。以来、当地を荒宿と称し、上無川に棲む片目の鰌を食べると眼病を患うといわれた。
—『横浜の伝説と口碑 下』上無川の片目の鰌(横浜郷土史研究会、1930年)NDLJP:1456827/21
江戸時代、相殿に素盞嗚尊を勧請した。
1868年(慶応4年)の神奈川大火で全焼するも復興し、1885年(明治18年)村社に列せられ、1922年(大正11年)神饌幣帛料供進社に定められた。[2] 1923年(大正12年)の関東大震災と1945年(昭和20年)の横浜大空襲でも大被害を受ける。
Remove ads
社殿・境内
天一坊改行の悪事の企てに応じて江戸へ向かった赤川大善は、神奈川宿の旅籠で同宿した若い女旅人を殺して金を奪い、逃げた。旅籠は役所に知れれば闕所になると、死骸を梅林へ埋めて隠した。後日、全てが明白になり、哀れに思った村人が梅の森稲荷を祀ったという。
—『横浜の伝説と口碑 下』梅の森稲荷(横浜郷土史研究会、1930年)NDLJP:1456827/21
- 上無川 - 境内を流れていた小川。水が少なく水源や上流が定かでなかったため、
上 が無い川、上無川と呼ばれ「神奈川」の由来の一説となった。関東大震災後の復興で埋め立てられた。
祭事・年中行事
- 例大祭 - 8月第4土-日曜日
所在地・交通
神奈川県横浜市神奈川区東神奈川2-34-6
脚注と出典
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads
