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神谷守孝

日本の安土桃山時代~江戸時代前期の武将。加賀藩人持組頭。人持組神谷家初代当主 ウィキペディアから

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神谷 守孝(かみや もりたか、? - 寛永9年6月3日1632年7月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将加賀藩前田家の家臣。幼名は左介、通称は左近、信濃守。妻は中川光重の娘・献珠院(前田利家の外孫)。

生涯

尾張国国人。姓は源[1]天正20年(1592年)、利家の近習となり、文禄の役肥前国名護屋城に従軍する。利家の末子・前田利貞の養育をまかされる。利家死後は、剃髪して高野山に上り、利家の墓の建立を任される。大坂の陣に参加し、12000石を給され人持組頭となった。寛永5年(1628年)、丹波守。

寛永9年(1632年)に死去。婿養子の神谷長治(式部、横山長知の三男)がその跡を継いだ。

系譜

  • 養子
    • 前田利貞:前田利家の六男。
    • 神谷式部(神谷長治):婿養子。
    • 神谷治部大聖寺藩創建時の功臣。

脚注

参考文献

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