トップQs
タイムライン
チャット
視点

福冨芳美

昭和~平成初期のファッションデザイナー ウィキペディアから

Remove ads

福冨 芳美(ふくとみ よしみ、1914年11月23日 - 1992年4月22日[1]は、昭和~平成初期のファッションデザイナー教育者。旧姓は小田[2]

経歴

岡山県生まれ。兵庫県立第一神戸高等女学校を卒業後[3]婦人服の仕立て職人に弟子入り[1]。その後上京して杉野学園ドレスメーカー女学院で学び、1937年に神戸ドレスメーカー女学院(現・神戸ファッション専門学校)開校[1]。戦後は大丸神戸店の顧問デザイナーに招聘され[4]、パリやニューヨークへ出かける機会を得る。また、神戸在住のまま飛行機で日本大学芸術学部美術学科に通い、1961年に卒業した[3][5][6]

1967年明石女子短期大学を創立し、学長教授となる[1]。日本家政学会、人間工学会、日本デザイナークラブ、ザ・ファッション・グループ(本部ニューヨーク)等の会員[3]1992年心不全のため死去。77歳。正五位に叙せられた[4]

趣味は絵画、旅行、美術。夫は福冨震一学校法人福冨学園理事長[7]

栄典

脚注

参考資料

関連項目

外部リンク

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads