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福音書記者聖ヨハネ (エル・グレコ)

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福音書記者聖ヨハネ (エル・グレコ)
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福音書記者聖ヨハネ』(ふくいんしょきしゃせいヨハネ、西: San Juan Evangelista: Saint John the Evangelist) は、ギリシャクレタ島出身で主にマニエリスム期のスペインで活動した画家エル・グレコトレド時代の終わりに近い1605年ごろ、キャンバス上に油彩で制作した絵画である[1]。1921年に収集家のセサール・カバニャス・カバリェロ (César Cabañas Caballero) から寄贈されて以来[2]マドリードプラド美術館に所蔵されている[2][3]

 

概要 作者, 製作年 ...
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作品

福音書記者聖ヨハネは、イエス・キリストに最も愛された弟子である[3][4]。伝説によれば、キリストの磔刑の後に彼は聖母マリアとともに暮らした。聖母の死後には、聖ペテロとともに福音書を広め、また小アジアに旅して、黙示録に述べられているように7つの教会を建てたといわれる[3]。彼はエフェソスに赴いた時、死者を蘇らせる奇跡も起こした[4]。しかし、ローマ皇帝ドミティアヌスによるキリスト教徒迫害に遭い、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』によれば[2]、2度も生命を脅かされたという[3]。とはいえ、彼は、十二使徒のうち唯一殉教しなかった存在である[4]

本作は、若いヨハネが杯を持つ姿を表わしている[3]。ある時、ドミティアヌスは彼に毒杯を仰ぐように命じたが、彼が命令に従って杯を取り上げると、毒はヘビとなって去っていったと伝えられる。そのため、ヘビの付いた毒杯はヨハネを象徴するアトリビュート (人物を特定する事物) の1つとなっている[2][3]

この絵画は図像的に見る限り、トレド大聖堂エル・グレコ美術館英語版 (トレド) が所蔵する2組の十二使徒連作に含まれる2点の『福音書記者聖ヨハネ』と際立った相違はない[3]。本作も本来は十二使徒の連作のうちの1点として制作されたものと想定されたが、サイズ、様式ともに本作と合致するような作品群は見出されていない。そのため、現在では初めから独立した聖人像として描かれたものと考えられている[3]

本作は、質の高さ、あるいは完成度という点でトレドにある2点の福音書記者聖ヨハネ像を大きく凌駕する。それらは筆致がかなり粗く、顔の表情は適確に描かれているとはいえないのに対し、本作は緑色の衣服と赤色の外衣、顔の表情、白い雲をまじえた背後の空などに入念な描法が見られる[3]。ただし、毒杯を握る右手、そして左手もおそらく補筆されたものと考えられる[3]。プラド美術館では、本作には工房の手が入っていると見ている[2]

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ギャラリー

脚注

参考文献

外部リンク

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