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秋山久三

日本の陸軍軍人 ウィキペディアから

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秋山 久三(あきやま きゅうぞう、1891年明治24年)1月25日[1] - 1982年昭和57年)8月2日[2][注 1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。最後の陸軍騎兵学校長。

経歴

奈良県出身[1][3]。1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業[1][4]。同年12月、騎兵少尉に任官した[4]

1930年(昭和5年)8月、騎兵少佐に進級[5]。1934年(昭和9年)8月、騎兵第7連隊長に就任[3]。1936年(昭和11年)1月、陸軍騎兵学校教官兼同校研究部部員となり[5]、同年3月、騎兵中佐に進んだ[5]。1939年(昭和14年)8月、騎兵大佐に昇進し騎兵第15連隊長に就任した[1][3]。1940年(昭和15年)3月、軍馬補充部付となり、1941年(昭和16年)3月、陸軍兵器本廠付に転じた[3]

1942年(昭和17年)8月、捜索第39連隊長に発令され[3]日中戦争に出征し[1]宜昌に駐屯した[1]。1943年(昭和18年)6月、騎兵学校付となり、1944年(昭和19年)12月、騎兵学校長に就任した[1][3]。1945年(昭和20年)6月、陸軍少将に進み終戦を迎えた[1][3]1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[6]

戦後、タカラベルモント専務を務めた[2]。1982年8月、心筋梗塞のため練馬区の自宅で死去した[2]

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脚注

参考文献

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