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秋月直胤
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秋月直胤(あきづき なおかず、1911年〈明治44年〉1月20日[1] - 1988年〈昭和63年〉11月[2])は日本の歌手、教育者。
概要
岡山県岡山市広瀬町出身[3][4]。東京音楽学校を卒業後も声楽の研究を続けるつもりでいた[5]が、山田耕筰の推薦でコロンビアレコードに入り、青山 薫(あおやま かおる)の芸名で歌手として活動する[2]。青山薫の芸名は西條八十によるものである[2]。流行歌歌手を引退後はクラシック界に復帰し、バリトン独唱者として活躍した[3][2]。1948年(昭和23年)には大阪音楽大学に声楽部長、教授として招かれ、教鞭をとった[2]。
その後大学を退いて新設音楽大学の設立を計画するもかなわず、1951年(昭和26年)4月からは兵庫県宍粟郡山崎町(現在の宍粟市)に居を移し、兵庫県立山崎高等学校で教鞭をとる[2]。同校在職中に同校で校歌が制定されるまで歌われていた『山崎高校生徒会歌』を作曲している[2]。1961年(昭和36年)4月に兵庫県立姫路商業高等学校が開設されると同校に移動となり、同校の初代校長である松井利男と出会う。松井と秋月はそれぞれ作詩、作曲に長けていたため姫路商業高校はもちろんのこと、西播磨一円の学校の校歌を多く手掛けている[2]。また、姫路を舞台としたオペラやミュージカルも手掛け、1965年(昭和40年)には第3回姫路文化賞を受賞している[2]。
1969年(昭和44年)3月に定年退職すると子の居住する埼玉県に転居し、1973年(昭和48年)には埼玉県立川越高等学校の音楽科講師に迎えられ、関東で活動を続けた[2]。1988年(昭和63年)11月、78歳没[2]。
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主な作品
- 兵庫県立山崎高等学校生徒会歌『山崎高校生徒会歌』[2]
- 兵庫県立姫路商業高等学校校歌[6]
- 兵庫県立千種高等学校校歌[7]
- 姫路市立菅生小学校校歌[8]
- 姫路市立前之庄小学校校歌[9]
- 姫路市立城山中学校校歌[10]
- 赤穂市立御崎小学校校歌『空は高いよ』[11][12]
- 赤穂市立赤穂中学校校歌『みなもと遠き』[12]
- 赤穂市立赤穂中学校生徒歌『庭のさくら』[12]
- 赤穂市立坂越中学校校歌『坂越高雄の』[12]
- 相生市立矢野川中学校校歌[13]
- 宍粟市立神戸小学校校歌[14](同校は合併して宍粟市立はりま一宮小学校となっている。)
- 宍粟市立染河内小学校校歌[15](同校は合併して宍粟市立はりま一宮小学校となっている。)
- 宍粟市立一宮北中学校校歌[16]
- 山崎町立神河中学校校歌[17](同校は合併して宍粟市立山崎東中学校となっている。)
- 上郡町立赤松小学校校歌[18](同校は合併して上郡町立上郡小学校となっている。)
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脚注
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