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秋田重季
日本のエンジニア、政治家 (1886-1958) ウィキペディアから
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秋田 重季(あきた しげすえ、1886年(明治19年)10月12日[1] - 1958年(昭和33年)2月13日[1][2])は、明治から昭和時代の技術者、政治家、華族。貴族院子爵議員、秋田家第14代当主。旧名・重光[1]。
生涯
旧公家出身の伯爵大原重朝の二男[1]であったが、元三春藩主で子爵の秋田映季に嫡男が居なかったため、その娘の芳子と結婚して秋田家を継いだ[1]。養父の死去に伴い1907年(明治40年)3月6日、子爵を襲爵[1][3]。
1910年(明治43年)に東京帝国大学工科大学を卒業[1][2]。同年、逓信省臨時発電水力調査局雇となり、鉄道院技手、同技師などを務める[2]。また、歌会始講頌となる[2]。
1919年(大正8年)5月17日、貴族院子爵議員に選出され[4]、研究会に属し貴族院が廃止された1947年(昭和22年)5月2日まで在任[2]。1946年(昭和21年)には永年在職議員として表彰を受けた[2]。
また、谷口隆之助から『生命の実相』を紹介されたことをきっかけに、生長の家に入信。戦前は本部教化部長・企画部長・理事長を歴任[5]、戦後は生長の家社会事業団理事長、児童養護施設生長の家神の国寮寮長を務めた[6]。
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栄典
親族
脚注
参考文献
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