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秦梨城
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秦梨城(はだなしじょう)[1]は、愛知県岡崎市秦梨町にあった中世の日本の城(山城)。
記録
『額田町史』[1]によれば、城主は三河守護足利氏被官粟生師廣とされている。 戦国時代には城主粟尾永信(将監)が駿河国の今川義元に属していたが弘治2年(1556年)に織田方に属した奥平氏 等に攻められたものの、奥平市兵衛・松平彦左衛門らを含む首5つを奪い同年5月24日(旧暦)に撃退したとされる[2][3]。
脚注
参考文献
関連項目
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