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稲内清二

内務官僚 ウィキペディアから

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稲内 清二(いなうち せいじ、1892年明治25年)8月25日[1] - 1943年昭和18年)2月17日[2])は、内務官僚千葉県市川市長。

経歴

京都府出身。1914年大正3年)に盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)を卒業した後、1920年(大正9年)に京都帝国大学法学部を卒業した[3]一年志願兵として陸軍少尉となる[3]1922年(大正11年)に高等試験に合格した[3]和歌山県伊都郡長、東牟婁支庁長、熊本県商工課長、同蚕糸課長、香川県社会課長、同地方課長、広島県学務課長、同地方課長、宮崎県学務部長、秋田県学務部長を歴任した[1][3]

1940年(昭和15年)に退官した後、同年6月11日に市川市長に就任し、1941年(昭和16年)10月7日まで在任した[3][4]。その後、市川市会議員を務めた[2]1943年(昭和18年)2月17日、市川市議在職中に胃潰瘍で死去[2]

脚注

参考文献

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