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稲富祐秀
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稲富 祐秀(いなどめ[1] / いなとみ[3] すけひで)は、戦国時代の武将。丹後一色氏の家臣[3][5]。孫に稲富祐直。諱は直時(なおとき)ともいう[3][注釈 1]。
生涯
祐秀は丹後国与謝郡の忌木城(弓木城[7])城主[3][6]。
渡唐して鉄砲の術を学んだという人物・佐々木庄符次郎(少輔次郎[8])を居城に招き、鉄砲を数年習ってその術を修めたという[9]。稲富流の伝書によると、祐秀が印可を受けたのは天文23年(1554年)のこととされている[10]。
祐秀は嫡子の直秀(祐政[2])に鉄砲を伝え、直秀が38歳で死去すると、直秀の嫡子・直家(祐直[2])にこれを伝えた[9]。直家はそれに工夫を加え、祐秀から伝えられた一巻の書は数十巻となり、その流儀は稲富流または一夢流(一夢は直家の号)と呼ばれるようになった[9]。
脚注
参考文献
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