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稲葉一通

安土桃山時代から江戸時代前期の武将・大名。豊後臼杵藩3代藩主。稲葉典通の長男。従五位下民部少輔。子に稲葉通綱(左京)、稲葉通広(織部)、稲葉通任(庄右衛門) ウィキペディアから

稲葉一通
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稲葉 一通(いなば かずみち)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将大名豊後国臼杵藩の第3代藩主

概要 凡例稲葉一通, 時代 ...

略歴

天正15年(1587年)、第2代藩主・稲葉典通の長男として誕生。寛永3年(1626年)、父が死去したため、翌年3月に家督を継いだ。熊本藩2代藩主・加藤忠広の改易の際、木下延俊と共に八代城の在番を務めている。島原の乱後、不穏な政情に備えて九州における国境警備を命じられた。藩政においては城下町の整備や開発、社寺の建設に尽力している。

寛永18年(1641年)8月16日、死去。享年55。跡を長男・信通が継いだ。

系譜

父母

正室、継室

子女


一通のみならず、稲葉家は代々有名な戦国武将の娘を妻に迎えている。祖父・貞通斎藤道三、父・典通は丹羽長秀、自身は細川忠興それぞれの娘が妻となっている。よって一通の子孫たちは彼らの子孫でもある。また昆孫の勧修寺婧子は仁孝天皇の生母であるため、一通の血筋は現在の皇室にも繋がっている(稲葉知通#系譜を参照)。

出典

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