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章敬皇后

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章敬皇后(しょうけいこうごう、713年 - 730年)は、粛宗の側室で代宗の生母。姓は呉氏

生涯

初め父の呉令珪は郫県の県令だったが、法を犯して誅殺された。彼女も奴婢の身分に落とされて後宮に入った。

開元13年(725年)、玄宗は後宮の宮人を選んで、皇子の李亨を世話するものを選ばせた。12歳の呉氏は李亨の側室となり、翌年に李俶(後の代宗)を産んだ。

開元17年(729年)、和政公主を産んだが、翌年(730年)に17歳で没した。

代宗が即位すると、その生母として章敬皇后と追贈された。宝応2年(763年)、建陵に葬された。

伝記資料

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