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竹上常三郎

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竹上 常三郎(たけがみ つねさぶろう、1872年12月9日明治5年11月9日[1]〉- 没年不詳[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。功四級[2]。旧姓・大橋[3][4]

概要 竹上 常三郎, 生誕 ...

経歴

茨城県[2][3]、後の古河町(現古河市[5]出身。大橋力蔵の二男として生まれ、竹上寅吉の養子となり家督を相続した[3][4]

1894年(明治27年)7月、陸軍士官学校(5期)を卒業し、同年9月、陸軍歩兵少尉に任官[1][2][4]1897年(明治30年)12月、陸軍大学校(14期)に入学し、1900年(明治33年)12月に卒業して士官学校に配属された[2][3][6]日露戦争では第7師団参謀として出征した[1]

以後、第17師団参謀などを経て、1914年(大正3年)8月、歩兵大佐に進み陸軍省人事局補任課長に就任[2][3][4]歩兵第51連隊長、参謀本部庶務課長を経て、1918年(大正7年)8月、陸軍少将に昇進し陸大幹事となる[1][2][3][4]

陸軍省人事局長を経て、 1923年(大正12年)8月、陸軍中将に進み旅順要塞司令官に就任[1][2]1924年(大正13年)2月、第19師団長に転じ、さらに1926年(大正15年)7月、第12師団長に転じた[1][2][3][4][7]1928年(昭和3年)3月、待命となり、同年同月予備役に編入された[1][2][3][4]1939年(昭和14年)4月1日に退役した[8]

戦後、1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受け[9]1952年(昭和27年)3月4日に解除された[10]

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親族

脚注

参考文献

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