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第二次クプヤンシクの戦い

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第二次クプヤンシクの戦い
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第二次クプヤンシクの戦い(だいにじクプヤンシクのたたかい)はロシア軍およびドンバス分離主義軍ウクライナ軍との間で起きたウクライナ北東部ハルキウ州クプヤンシクをめぐる戦いである。クプヤンシクはオスキル川両岸に位置する戦略的に重要な都市なためロシア軍は2022年のウクライナ東部反攻による都市の喪失後もクプヤンシクを奪還するため攻撃を行ってきた。

概要 第二次クプヤンシクの戦い, 時 ...
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背景

開戦当初、ウクライナ軍はロシア軍の進撃を遅らせるためクプヤンシクの鉄道橋を爆破したが同市の市長のヘンナジー・マツェホラは、戦闘行為の停止と引き換えにロシア軍に都市を明け渡すことに同意した。 その結果クプヤンシクは2022年2月27日以降ロシア軍が占領していた。[1]2022年のウクライナの東部反攻時にウクライナ軍はクプヤンシクを9月16日に奪還しロシア軍を同市から北東方向に約8km、東方向に約20km離れた地点にまで後退させることに成功した[2]。しかしロシア軍はクプヤンシクの再度占領を諦めてはおらず、2024年7月から10月にかけロシア軍はクプヤンシク南東のクロフマルネから約14km前進しク プヤンシクの約15km南に位置するオスキル川に到達した。それから約1ヶ月後の11月中旬に少数のロシア軍部隊がクプヤンシク東岸市街地に侵入し以降クプヤンシクを巡る戦いが始まった。

戦闘経過

要約
視点

2022年9月〜2024年10月

2022年にウクライナ軍は東部で反攻作戦を行いイジュームやクプヤンシクなどの主要都市を含む約3000平方キロメートルの土地を奪還し、ロシア軍をオスキル川東岸へと撤退させた[3]。ロシア軍のクプヤンシク撤退後、長らく戦線に変化は訪れなかったが2024年7月からロシア軍はクプヤンシクから南東に約25km離れたクロフマルネで戦線を突破し10月下旬には西に約15km前進しオスキル川に到達、クプヤンシクから南に約20km離れたクルリアキフカに到達した[4]

2024年11月〜2025年2月 ロシア軍のクプヤンシク侵入とオスキル川の渡河

2024年11月14日、 戦車1輌、歩兵戦闘車1輌、兵員輸送車2輌で構成されたロシア軍の小規模な装甲部隊が、ウクライナ軍の人員不足と部隊ローテーションによる防衛の隙を突き、クプヤンシク北東約4kmの地点から市街地へと侵入した。ロシア軍部隊はほとんど抵抗を受けることなく、クプヤンシク東岸市街地中心部にまで到達した[5][6]。ロシア軍はこの成功を受け新たな追加兵力を投入したが防衛にあたったウクライナ軍第116旅団と第14旅団により阻止された。その後1週間以上にわたり戦闘が行われたが11月25日に市内に侵入したロシア軍部隊は掃討された[7]

11月25日、ロシア軍はオスキル川を渡河しクプヤンシク北東に約15km離れたノヴォムリンスク郊外に到達した[8]。さらに11月30日、ロシア軍はクプヤンシク北東に約9km離れた地点でオスキル川を渡河しオスキル川西岸のドヴォリチナ郊外に到達した[9]。12月に入ると3日にウクライナ軍は反撃を行いノヴォムリンスク一帯からロシア軍をオスキル川東岸へと撤退させた。しかしドヴォリチナ郊外に渡河したロシア軍を排除することは叶わず12月15日にはドヴォリチナ市街にロシア軍は到達した[10]

12月下旬には目立った戦線の変化は訪れなかったが2025年1月9日にロシア軍はドヴォリチナ南西郊外と北西郊外に到達しウクライナ当局もロシア軍がオスキル川に上陸し橋頭堡を築いていることを認めた[11][12]。ロシア軍は1月23日にドヴォリチナ南西部のザパドネでも約2.5km前進し徐々にオスキル川西岸で支配地域を広げていった[13]

2月に入るとロシア軍はクプヤンシク方面でも渡河を成功させザパドネを占領しクプヤンシク方向に前進した[14]

3月〜4月 

3月に入るとウクライナ軍はオスキル川方面の戦況を安定させることに成功した。ロシア軍もオスキル川東岸の支配地域を拡大しようと戦線の突破を試みたが多くのロシア兵は攻撃を受け排除された。[15]3月下旬にロシア軍はオスキル川西岸のクプヤンシク北部の集落キンドラティフカに向け前進し同集落の一部に到達した。ロシア軍はこの前進でクプヤンシク西岸市街地へ約4km接近した。[16]4月に入ると戦線は停滞し大きな変化が起きることはなかった。

5月〜現在 クプヤンシクへの突破と市内での戦闘の激化

5月下旬になるとロシア軍はクプヤンシクへ接近した。5月23日にロシア国防省はクプヤンシク西岸から僅か約2km離れた集落のラドキフカを占領したと報告した[17]。6月に入った後もロシア軍は支配地域を拡大し6月9日にロシア軍はキンドラティフカ中心部を占領した[18]。6月20日にはロシア国防省がクプヤンシク西岸市街地に隣接する集落のモスコフカを占領したと報告した[19]

8月7日、ロシア軍部隊はクプヤンシク西部に隣接する集落のソボリフカ郊外に到達した。また、クプヤンシク北部のホルビフカでもロシア軍は支配地域を拡大した[20]

8月25日、モスコフカ、キンドラティフカを占領しクプヤンシクを攻撃していたロシア軍部隊がクプヤンシクに侵入し北部市街地郊外と北西部市街地郊外を占領した。また、ウクライナ側のオープンソース情報機関は多数のロシア軍破壊工作部隊が民間人を装い市内に潜伏していると明かした[21]

8月29日、ウクライナ軍は反撃を行いモスコフカとソボリフカからロシア軍を後退させた[22]

9月13日、ロシア軍はパイプラインを使用しオスキル川東岸からオスキル川西岸のラドキフカへと兵を送り続けている。パイプラインの移動には約4日を要するためパイプライン内には食料庫や休憩拠点が設けられており、このパイプライン移動によりロシア軍は損害を出すこともなくオスキル川西岸へと移動できロシア軍はクプヤンシクに兵力を集め続けている。さらにクプヤンシク市内には侵入したロシア兵により陣地が構築されている[23]。ウクライナ軍はこの件に関し、市近郊に通っているパイプラインの出口はすべてウクライナ軍の管理下にあり4つのパイプラインのうち3本のパイプラインは損傷し浸水しており移動は不可能だと主張した[24]。同日、ロシア軍はクプヤンシク西岸市街地北部郊外を占領した[25]

9月18日、ロシア軍はクプヤンシク西岸北部の集合住宅群の一部を占領し、一部のロシア軍部隊は市中心部にも到達した。また、ロシア軍はクプヤンシクから東に約15km離れた地点でも約4km前進した[26]

9月20日、ウクライナ軍はロシア軍が使用していたパイプラインの爆破に成功した。損傷によりパイプライン内は浸水し通行が不可能になったためロシア軍はオスキル川の渡河を再開した。オスキル川を渡河するロシア兵の大半はドローンにより排除されたがロシア軍は既に大量の兵士をオスキル川西岸へ送ることに成功しているためクプヤンシクは激しい攻撃に晒されている[27]

市内に足場を築いたロシア軍は歩兵を主体にドローンや火砲の援護を受けながらクプヤンシクで支配地域を拡大し9月27日にロシア軍はクプヤンシク市街地中心部と市街地北西部を占領することに成功した[28]

11月20日、ワレリー・ゲラシモフ参謀総長は、ウラジーミル・プーチン大統領と西部軍司令部で会談した際、ロシア軍がクプヤンシク全域を制圧したと述べた。さらに、ゲラシモフ参謀総長は「クプヤンシク・ヴズロヴィイとその周辺で約15個大隊が包囲されている」「ウクライナ軍兵士の多くはドローン攻撃に晒され任務を遂行することができず多くの兵士が降伏を決意している」「西部軍集団はクプヤンシクを解放しオスキル川東岸で包囲された兵士を殲滅している」と述べた[29]

11月21日、ロシア国防省はクプヤンシクを解放したと報告した[30]。また、同時期にクプヤンシク西岸市街中心部、西岸南郊外、東岸市街中心部で国旗を振るロシア軍兵士の姿が確認された。ロシアのミルブロガーのRYBARは「ロシア軍はクプヤンシクの大半を占領したが、東岸南市街地でのロシア軍の支配は確認されていない」と報告した[31]。ウクライナ軍はロシア国防省の報告について「市内には小規模のロシア軍兵士が潜入し街を支配しているかのように国旗を振る舞っている。ロシア軍はクプヤンシクを占領してはいない」と市の陥落を否定した[32]

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脚注

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