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第十三号輸送艦
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第十三号輸送艦(だいじゅうさんごうゆそうかん、旧字体:第十三號輸󠄁送󠄁艦[注釈 3])は、日本海軍の輸送艦。第一号型輸送艦の13番艦。離島に対する輸送作戦を幾度も成功させて太平洋戦争を生き延び、戦後は復員輸送に従事したのち捕鯨船として運航され、賠償艦としてソビエト連邦に引き渡された。
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艦歴
要約
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日本海軍
マル戦計画の計画名特務艦特型、仮称艦名第2913号艦として計画。1944年7月5日、三菱重工業横浜造船所で建造番号554番船として起工。9月1日、第十三号輸送艦と命名。同日付で第一号型輸送艦の13番艦に定められ、本籍を横須賀鎮守府と仮定。30日進水。10月5日、艤装員事務所を三菱重工業横浜造船所内に設置し事務開始。
11月1日竣工し、連合艦隊附属第二輸送隊に編入され、本籍を横須賀鎮守府に定められる。以後、主として父島、母島、八丈島、硫黄島に対する輸送任務に従事。
1945年1月1日現在、横須賀鎮守府作戦指揮下。2月10日、硫黄島で揚塔中にP-38戦闘機の空襲を受け、編隊1番機とされる1機を撃墜。単装機銃2基破損。11日、硫黄島での揚塔を終えて父島へ向け航行中、北硫黄島付近でB-25爆撃機の空襲を受け、ロケット弾2発が命中し浸水。これらの戦闘で戦死行方不明25名、負傷37名を出す。同日父島二見港に入港し応急修理。12日、艦を沈めずに父島に入港させた行動により、以下の賞詞が本艦に出された。
海󠄀上護衞總部隊󠄁司令長官
第十三號輸󠄁送󠄁艦ガ十一日北硫黃島附近󠄁ニ於󠄁テ敵B-二五二機乃至三機ト交󠄁戰「ロケット」彈二發ヲ受󠄁ケ大火災ヲ生ジ艦長負󠄁傷准士官以上ノ大半󠄁及󠄁兵員多數ヲ失ヒシニモ拘ハラズ應急󠄁處置適󠄁切ニシテ火災ヲ速󠄁ニ消󠄁失損害󠄂ヲ極限無事父󠄁島ニ歸投シ得タルハ各員克ク其ノ職分󠄁ニ邁進󠄁艦ノ保安ヲ全󠄁フシタルモノニシテ其ノ行爲ハ大イニ可ナリ — 2月12日附 横鎮機密第一二〇九五八番電
15日、宇佐美港に仮泊。18日、横須賀着。22日、横須賀海軍工廠第五船渠に入渠。3月30日まで修理と整備を行う。この修理の際に三式一号電波探信儀三型を設置し、九三式水中探信儀三型を三式水中探信儀二型甲改一に換装した。入渠中の2月27日には横須賀鎮守府司令長官から以下の表彰を受けた。
表彰狀
第十三號輸󠄁送󠄁艦
右ハ昭和二十年二月󠄁十二日北硫黃島附近󠄁ニ於󠄁テ來襲敵大型機ト交󠄁戰ロケット彈二發ヲ蒙リ大火災ヲ生ジ艦長負󠄁傷准士官以上ノ大半󠄁及󠄁兵員ノ多數ヲ失ヒタルモ乘員一同終󠄁始敢鬭被害󠄂ニ對スル應急󠄁處置適󠄁切ニシテ速󠄁カニ火災ヲ消󠄁火被害󠄂ヲ極限シ無事父󠄁島ニ歸港󠄁スルヲ得更󠄁ニ小笠原方面敵機動部隊󠄁ノ情󠄁報アルヤ父󠄁島ヨリ東京灣方面避󠄁航ノ命ニ依リ適󠄁切ナル計畫ノ下少數ノ乘員ヲ以テ協心戮力克ク橫須賀ニ歸投スルヲ得タリ
右ノ行爲ハ以テ他ノ範ト爲スニ足ル
仍テ茲ニ之ヲ表彰ス — 昭和二十年二月二十七日 横須賀鎭守府司令長官 海軍中将正四位勲一等功二級 塚原二四三
4月14日、横須賀に在泊中、輸送隊司令旗を第16号輸送艦から移揚。
5月5日、横須賀鎮守府作戦指揮を解かれ、佐世保鎮守府作戦指揮下に編入。10日横須賀を発し、湊での荷役と呉海軍工廠での整備をはさみ、佐世保へ回航。以後、佐世保方面の輸送に従事。
7月10日、竹敷向け輸送中に対馬黒埼島で座礁。第102号海防艦らの協力により離礁し、竹敷での荷役後は立神らに曳航され、16日佐世保着。17日から佐世保海軍工廠第七船渠に入渠し修理と整備を行う。
終戦時は佐世保で修理中。
第二復員省-復員庁
1945年8月26日、横須賀鎮守府第一予備輸送艦に定められる。11月20日、除籍。12月1日、第二復員省の開庁により、横須賀地方復員局所管の特別輸送艦に定められ、復員輸送に従事した。12月20日、艦名を輸第十三号に改称。
1946年7月26日、輸第十三号は特別保管艦に指定され、横須賀地方復員局特別保管艦艇第七保管群に配される。10月21日から11月24日まで、石川島造船所で整備[1]。
1947年、輸十三号は極洋捕鯨(現・極洋)に貸し出され、日本水産(現・ニッスイ)との小笠原諸島近海での捕鯨操業に捕鯨母船として運航された。輸十三号はキャッチャーボートの第一京丸・第三京丸と共に3月2日に出航[2][注釈 4]し、5月25日までにシロナガスクジラ2頭とイワシクジラ49頭、マッコウクジラ80頭を捕獲した[4]。
8月8日から13日まで、浦賀船渠で整備[5]。25日、ソビエト連邦に対する賠償艦第三次引渡しのため佐世保を出港。28日、特別輸送艦の定めを解かれ、ナホトカでソビエト連邦に引き渡された[6]。12月15日、本艦の残務整理が終了した。
ソビエト連邦海軍
1947年8月28日、「チュメニ万歳」という意味のチュメニ ウラ(ロシア語:Тюмень-Улаチュミェーニ ウラ)に改称されて再武装され、機雷敷設艦となった。
1948年7月5日、既存の武装を撤去し、新しい武装を装備する改装を受ける。同時に救難艦に類別変更され、「土星」という意味のサトゥールン(ロシア語:Сатурнサトゥールン)に改称された。
1964年2月28日、海軍より除籍され、スクラップとして売却された。
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第十三号輸送艦長/輸第十三号艦長
- 艤装員長
- 新村孝邑 大尉/少佐:1944年10月1日 - 1944年11月1日
- 輸送艦長/艦長
- 新村孝邑 少佐:輸送艦長 1944年11月1日 - 1945年3月10日
- 河野修 少佐:1945年3月10日 - 1945年5月10日
- 久保武 少佐/中佐:1945年5月10日 - 1945年11月10日[注釈 5]
- 外山三郎 第二復員官:1945年12月5日 - 艦長 1945年12月20日 - 1946年1月14日
- 永松熊一 第二復員官:1946年1月21日 - 退任年月日不明[注釈 6]
- 田久保龍雄 復員事務官:1946年8月26日 - 1946年11月20日
- 西村春芳 復員事務官:1946年11月20日 - 1947年4月26日
- 本田幸人 復員事務官:1947年4月26日 - 1947年6月16日
- 橋本一郎 復員事務官:1947年8月5日 - 1947年8月28日[注釈 7]
脚注
参考文献
外部リンク
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