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第155独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)

ロシア海軍の部隊 ウィキペディアから

第155独立親衛海軍歩兵旅団 (ロシア海軍)
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第155独立親衛海軍歩兵旅団(だい155どくりつしんえいかいぐんほへいりょだん、ロシア語: 155-я отдельная гвардейская бригада морской пехоты)は、ロシア海軍旅団太平洋艦隊隷下[2]

概要 創設, 所属政体 ...

歴史

要約
視点

ソビエト連邦

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第55海軍歩兵師団章

1968年12月1日、ソ連海軍太平洋艦隊隷下の第390独立海軍歩兵連隊を基幹に第55海軍歩兵師団として創設された[3][4]

ロシア

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旧第155独立親衛海軍歩兵旅団章

1992年5月、ソビエト連邦の崩壊ロシア連邦の独立で創設されたロシア海軍に編入した。

1995年1月、第一次チェチェン紛争に派遣された。

2009年6月、部隊縮小に伴い、第155独立海軍歩兵旅団に改編された[3]

ロシアのウクライナ侵攻

2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻で北部キーウ州、東部ドネツィク州の戦闘に投入され、部隊は戦死者600人、戦傷者600人の大損害を出し壊滅した[1][5]ウクライナ軍は、団員1600人のうち戦死者220人、戦傷者530人で5割の損害と発表した。キーウ方面では、民間人に対する戦争犯罪も指摘されていた[6]

2022年4月1日、マリウポリ方面での戦いが評価され、ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンから、名誉称号「親衛隊」を授与された[7]

東部・南ドネツク戦線

兵員を動員兵や義勇兵で充足して再編され、東部ドネツィク州ヴォルノヴァーハ地区に再配置されたが、以降も激戦地で損耗が激しく、ロシアの独立メディアが団員の9割が戦死したと報道するなど3回再編された[1][8][9]

同年11月までにドネツィク州内の戦闘に投入され、4日間で約300人が死傷する被害を出した。旅団は軍上層部を批判する書簡を、同艦隊の本拠地があるロシア沿海地方の知事に送った[10]ロシア国防省は公開書簡の内容を否定し「10日間で海兵隊はウクライナ軍の防衛域内に5キロメートル以上前進した」と表明[11]。しかし、同月11日にニューヨークタイムズの記者の協力を得て人権団体グラグ・ネットロストフタンボフモスクワ地域の軍病院に入院中の負傷兵にインタビューし、動画をアップロードした。負傷兵たちの証言によると、9月に動員された動員兵は十分な訓練も受けず、前線に送られた。自国の部隊との同士討ち砲兵からの誤射も体験している。装甲兵員輸送車の運転手が兵士の遺体の上の道路や畑を走ることを拒否する一方、司令官は兵士の遺体を回収しないように命じ、何週間も放置しているという[12][13]

アメリカ合衆国の政治サイト「ポリティコ」やロシアの独立系メディア「重要な物語」などは、2023年2月6日、ウクライナ東部ドネツィク州ヴフレダールへの攻勢でウクライナ軍に迎撃され、大きな損害を出したと報じた[2]。これに対してロシア国防省はヴフレダールへの攻撃について、計画通り進んでいると主張。同年4月12日のロシア国内のテレビ放送は、プーチン大統領が第155親衛海軍歩兵旅団の働きを称賛する演説を放送した[14]

2023年11月2日、ロシア軍は再びヴフレダールに向けて再攻撃を行い失敗。この際の主力は第155独立親衛海軍歩兵旅団と見られている[15]

東部・アウディーイウカ戦線

2023年12月、東部ドネツィク州ポクロウシク地区に再配置され、マリンカ方面で攻勢を開始したが、ノヴォ・ミハイリウカで撃退された[16]。2024年2月にロマン・コジューホフ副旅団長が戦死した[17]

北東部・ハルキウ戦線

2024年6月、北東部ハルキウ州に再配置され、友軍の救援でヴォウチャンシク方面を攻撃した[18]

2024年9月にロシア領クルスク州へ侵攻したウクライナ軍の迎撃をし、 テトキノ 地区に侵入したウクライナ軍の複数両のIFVや装甲車を幹線道路上で奇襲し、破壊した。

ロシア・クルスク戦線

2024年8月、ロシアクルスク州に再配置され、ウクライナ軍のさらなる攻勢をスジャ南のコロティロフカ方面で撃退した。棒に突き刺したウクライナ兵の生首を誇示して「ウクライナ軍はクルスク州から出ていけ!すぐにお前らもこうなる」と威嚇する動画をSNSに投稿し、犯行声明を出したことでウクライナ軍の標的となり、ヘイトタンクの役目を担いながら攻勢を開始した。10月には捕虜にしたウクライナ兵ドローン操縦士9人を下着一枚にして辱めた上で全員射殺するなど狂気と反撃を加速させた[19][20]

2025年1月23日、ロシア政府より、スヴォーロフ勲章を授与された[21]

2025年2月、タイガー義勇大隊のセルゲイ・エフレモフ大隊長が戦死し、沿海地方の副知事だったことが公表された[22]

2025年2月21日、ロシア政府より、名誉称号「クルスク」を授与された[23]

2025年3月、スジャ解放作戦でウクライナ軍の撤退に貢献し、とくにウラジーミル・プーチン大統領は部隊の活躍に着目し、「ロシア軍は可能な限り短期間でクルスク州全域を解放しなければならない」と更なる精進を促した[24]

2025年7月、ウクライナ軍のミサイル攻撃で野戦司令部が破壊され、セルゲイ・イリイン旅団長が戦死した[25]

2024年7月6日、ロシア政府より、名誉称号「ロシア連邦英雄を二度授与されたミハイル・グドコフ少将英語版」を授与された[26]

東部・ポクロウシク戦線

2025年8月、激戦地の東部ドネツィク州ポクロウシク地区に再配置され、友軍の救援でポクロウシク方面に展開した[27]

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編制

2022年

  • 旅団司令部(ウラジオストク
  • 第59独立海軍歩兵大隊(スラビャンカ)
  • 第47独立空中強襲大隊
  • 戦車大隊
  • タイガー義勇大隊
  • 第287独立自走砲大隊(スラビャンカ)
  • 第288ロケット砲大隊
  • 第547独立高射ミサイル大隊
  • 対戦車砲中隊
  • 火力支援中隊
  • 偵察大隊
  • 補給大隊
  • 工兵中隊
  • 整備中隊
  • 電子戦中隊
  • 通信中隊
  • 揚陸艦中隊
  • NBC防護小隊

1988年

  • 師団司令部(ウラジオストク
  • 第106海軍歩兵連隊
  • 第165海軍歩兵連隊
  • 第390海軍歩兵連隊
  • 第150戦車連隊
  • 第921砲兵連隊
  • 第923高射ミサイル連隊
  • 第263独立偵察大隊
  • 第509独立工兵大隊
  • 第1484独立通信大隊
  • 第240独立整備大隊
  • 第398独立補給大隊
  • 第316独立衛生大隊
  • 第5独立化学防護中隊

[3]

ギャラリー

脚注

外部リンク

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