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第205独立自動車化狙撃旅団 (ロシア陸軍)
ロシア陸軍の部隊 ウィキペディアから
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第205独立自動車化狙撃旅団(だい205どくりつじどうしゃかそげきりょだん、ロシア語: 205-я отдельная мотострелковая бригада、略称205 омсбр)は、ロシア陸軍の旅団。第49諸兵科連合軍隷下。
歴史
- 1995年3月17日:第167自動車化狙撃旅団と第723自動車化狙撃連隊を基盤に編成開始
- 1995年5月1日:編成完結。旅団創設記念日は、5月2日
- 1996年1月7日:ピェルヴォマイスキー町でラドゥーエフの部隊を撃滅
- 1996年3月:グローズヌイで敵部隊を撃滅
- 1996年7月:シャラジ及びコムソモリスコエ地区で匪賊部隊撃滅作戦
- 1998年9月23日:名誉称号「コサック」を授与
- 1999年8月~9月:ボトリフ及びカラマヒ地区においてシャミル・バサエフとアミール・ハッターブの部隊を撃滅
- 1999年10月:ズナメンスカヤ解放
- 2000年1月:グローズヌイ解放
- 2000年3月:シャーミ・ユルト解放
ロシアのウクライナ侵攻
南部・ヘルソン戦線
→「ウクライナ南部攻勢」も参照
2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻でクリミア共和国に配備され、南部ヘルソン州で攻勢を開始し、侵攻当日にノヴァ・カホウカを占領した[1]。
南部・ムィコラーイウ戦線
→「ボズネセンスクの戦い」も参照
2022年3月、南部ムィコラーイウ州に再配置され、ムィコラーイウ市を南から正面攻撃する第20自動車化狙撃師団を援護するため、北から迂回して第34独立自動車化狙撃旅団と共に攻勢を開始したが、ボズネセンスク方面で撃退された[2]。
南部・ヘルソン戦線
2022年4月、南部ヘルソン州に再配置され、第49軍、第22軍団と共にドニエプル川西岸の橋頭堡ベリスラウ方面を防御したが、エドゥアルド・シャンドゥラ旅団長、アフメド・トクバエフ通信部長が戦死し、11月にドニエプル川西岸を解放されて撤退した[3][4][5]。2023年6月のカホフカダム破壊事件ではノヴァ・カホウカに展開し、ロシアメディアにカホウカダムの陣地を自慢していたことから管理責任を問われた[6]。2025年4月にキリル・ヴァルラモフ大隊長が戦死した[7]。
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編制
- 旅団司令部(ブデンノフスク)
- 第1387独立自動車化狙撃大隊
- 第1393独立自動車化狙撃大隊
- 第1394独立自動車化狙撃大隊
- 第28独立戦車大隊
- 第321独立自走榴弾砲大隊
- 第327独立ロケット砲大隊
- 第1329独立対戦車砲大隊
- 第346独立高射ミサイル大隊
- 第1398独立偵察大隊
- 第93独立工兵大隊
- 第147独立電波電子戦中隊
- 第1681特使・郵便勤務局
その外、通信、物資保障、修理・復旧大隊、放射線・化学・生物学防護、衛生中隊、警備、VUNR、VUNPVO、VUNA小隊、軍楽隊、演習場が存在する。
装備
- T-72B3 x40
- T-72K x1
- MT-LB x237
- BM-21「グラード」 x18
- 152mm自走榴弾砲2S19M2「アカーツィヤ」 x36
- 120mm迫撃砲2S12「サニ」 x18
- 100mm砲MT-12「ラピラ」 x6
- 自走対戦車誘導弾複合体9P149「シュトゥルム-S」 x12
- BTR-70/80 x5
- BRDM-2 x4
- 戦闘車9A331「トール-M1」 x12
- 戦闘車9A34(35)「ストレラ-10」 x6
- 自走高射機関砲2S6M「ツングースカ」 x6
脚注
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