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第7親衛空挺師団 (ロシア空挺軍)
ロシア空挺軍の部隊 ウィキペディアから
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第7親衛空中強襲師団(だい7しんえいくうちゅうきょうしゅうしだん、7-я гвардейская воздушно-десантная дивизия;略称7 гв.ВДД)は、ロシア空挺軍の師団。空挺軍司令部隷下。クラスノダール地方ノヴォロシースク駐屯。
歴史
- 1945年:第3ウクライナ戦線第9親衛軍の編成下において、前身の第103親衛狙撃師団第322親衛狙撃連隊[1]をバラトン湖(ハンガリー)地区に投入。
- 1945年4月26日:連隊に対して、「2等クトゥーゾフ勲章」授与。部隊の公式記念日となる。
- 1945年5月:ハンガリー、トレジュボン市で終戦を迎える。
- 1946年:空挺軍傘下の第103親衛空挺師団第322親衛空挺連隊に改編された。
- 1948年10月15日:白ロシア、ポロツクにおいて、第322親衛空挺連隊に基づき、第7親衛空挺師団編成。第8親衛空挺軍団に配属。のちにリトアニアのカウナス市、マリヤンポリ市に配置転換。
- 1956年:ハンガリー動乱に参加。
- 1968年:チェコスロヴァキア侵攻に参加。
- 1979年10月、第80親衛空挺連隊を基幹に第39独立空中強襲旅団が創設された。
- 1979~1989年:アフガニスタンに投入。
- 1985年5月:師団に対して、赤旗勲章を授与。
- 1988~1989年:ザカフカーズ地域において、特殊任務を遂行。
- 1993年8月~:北カフカーズ軍管区に駐屯。
- 1993~1996年:アブハジアにおいて、平和維持任務を遂行。
- 1995年1月~1996年10月:第一次チェチェン紛争に投入。
- 1998年1月~:ダゲスタン及びチェチェン共和国において、特殊任務を遂行。
- 2008年8月:南オセチア紛争において、アブハジア方面に投入
- 2021年12月:第56独立親衛空中襲撃旅団が第56親衛空中強襲連隊に縮小改編され師団傘下となった。
- 2022年3月:2022年ロシアのウクライナ侵攻において師団長のアンドレイ・スホベツキー少将が演説中に狙撃され死亡[2]。
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編制
- 師団司令部(ノヴォロシースク)
- 第3高射ミサイル連隊
- 第6整備回収大隊
- 第162情報大隊
- 第185軍事輸送航空飛行隊
- 第286宅配郵便業務隊
- 第629工兵大隊
- 第743親衛通信大隊
- 第967降着支援中隊
- 第1681用具支援大隊
- 第3395空中機動陸軍病院
- 第97落下傘連隊
- 第108親衛空中強襲連隊
- 第247親衛空中強襲連隊
- 第56親衛空中強襲連隊
- 第1141親衛砲兵連隊
歴代師団長
脚注
外部リンク
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