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第8軍団 (ドイツ帝国陸軍)
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第8軍団 (ドイツ語: VIII. Armee-Korps) は19世紀から第一次世界大戦まで存在したプロイセン王国陸軍およびドイツ帝国陸軍の軍団。 1815年6月21日に下ライン大公国総司令部が置かれたのが始まりで、1820年4月3日にプロイセン王国陸軍第8軍団となった。司令部はコブレンツに置かれ、兵員はライン県とオルデンブルク大公国のビルケンフェルト侯国から徴募した[1]。
平時には第5軍総監部隷下となったが、第一次世界大戦が開戦すると第4軍に編入された[2]。終戦まで存続していた[3]が、敗戦に伴うドイツ軍の動員解除により解散した。
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普墺戦争
第8軍団は1866年の普墺戦争でケーニヒグレーツの戦いに参加した。
普仏戦争
第8軍は、普仏戦争では第1軍隷下で参戦した。グラヴロットの戦いとそれに続くメス攻囲戦に参加し、1870年10月にメスが陥落するとパリ北部でアリュの戦いおよびペロンヌ要塞攻囲戦と転戦し、アミアンの戦いとサン=カンタンの戦いまで戦った。
平時編制
要約
視点
ドイツ帝国陸軍は平時には25軍団 (近衛、第1-21、バイエルン第1-3) を擁し、各軍団は合理的に標準化された組織となっていた。 1個師団は2個歩兵旅団、1個野戦砲兵旅団および1個騎兵旅団からなり、各軍団は2個師団で構成されていた[4]。各旅団は通常2個連隊で構成されていたため、各軍団は8個歩兵連隊・4個野戦砲兵連隊・4個騎兵連隊を擁するのが標準だったが、いくつか例外もあった。
- 第5、6、7、9、14軍団は、5個歩兵旅団 (10個歩兵連隊) を擁していた。
- 第2、13、18、21軍団は9個歩兵旅団を擁していた。
- 第1、6、16軍団は3個騎兵旅団 (6個騎兵連隊) を擁していた。
- 近衛軍団は5個歩兵旅団 (11個歩兵連隊) と4個騎兵旅団 (8個騎兵連隊) を擁していた[5]。
各軍団には旅団に属さない直属部隊を擁しており、これには牽引砲兵連隊、猟兵大隊、工兵大隊、段列大隊などが含まれる。
第一次世界大戦
動員時点での組織
1914年8月2日の動員により、第8軍団は再編成された。第16騎兵旅団は第3騎兵師団を編成するため引き抜かれ[7]、第15騎兵旅団は分割のうえ偵察部隊として各大隊に配置された。各師団には司令部直属の工兵部隊や支援部隊が分遣された。結局、第8軍団には24個歩兵大隊、8個機関銃中隊 (機関銃48丁) およびと8個騎兵中隊、24野戦砲兵小隊 (砲144門)の他、4個銃砲兵小隊 (砲16問) と3個工兵中隊および1k所航空分遣隊が置かれることになった。
戦史
第一次世界大戦開戦に伴う動員により第8軍団は第4軍隷下となり、1914年8月の シュリーフェン・プランに基づく攻勢では中核部隊となった。第8軍団は終戦まで存続した[3]。
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司令官一覧
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脚注
書誌
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