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細川元有

室町時代後期から戦国時代にかけての武将。和泉国半国守護。細川和泉上守護家7代当主。 ウィキペディアから

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細川 元有(ほそかわ もとあり)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将和泉国半国守護細川和泉上守護家7代当主。官職刑部少輔[3]

概要 凡例細川 元有, 時代 ...

略歴

長禄3年(1459年)、細川常有細川教春の弟)の四男[注 1]として誕生した。兄に頼常政有(将軍・足利義政より「政」の字を賜う)がいる。

当初は兄・政有が家督を継承していたため、禅僧として建仁寺に入って雪渓源猷と号した。文明12年(1480年)に還俗し、その翌年に政有が死去したため、父の命令で家督を継ぐことになった。

文明12年(1480年)10月から明応9年(1500年)9月まで和泉国守護を務めた[3]

明応4年(1495年)、同じ和泉国半国守護(下守護)であった細川政久と共に畠山尚順と手を結び、本家筋細川政元と敵対したが、政元に敗れて降伏し、その家臣となった。このため、明応9年(1500年)8月、畠山尚順らによって居城の岸和田城を攻められた。同年9月2日、城は落城して元有は戦死した[4]。享年42。

死後は嫡男・元常が跡を継いだ。

系譜

  • 父:細川常有
  • 母:不詳
  • 正室:細川成之
  • 側室:三淵晴貞娘?
  • 側室:越智氏女
  • 生母不明の子女
    • 男子:松浦有盛? - 五郎次郎

偏諱を与えた人物

  • 佐々木吉 - 元有の重臣[5]。立英から改めた[5]。将監[5]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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