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細川隆是
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細川 隆是(ほそかわ たかよし)は、戦国時代の武将。大内氏、足利将軍家の家臣。官位は宮内少輔。
生涯
細川氏の一族とされるが、詳しい系譜は不明である。父・細川是久(よしひさ、宮内少輔)の代から大内氏に仕えており、元服時に主君・大内義隆の偏諱を受けて、隆是と名乗る。
天文12年(1543年)5月、義隆の養嗣子・大内晴持の陣没に関連して、父・是久が亡くなった(晴持と同じく溺死か)のに伴い、家督を継承したものと推測される。なお、周防国の大内氏と関係の深い細川氏として、細川晴広がいる[1]。
天文20年(1551年)9月、大寧寺の変で義隆が自刃すると、山口を離れて京都へ移り、足利将軍家(当時の将軍は足利義輝)に臣従し、御部屋衆となった[2]。
脚注
登場作品
関連項目
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